はじめに
- この記事はあくまでも筆者の意見を述べたものであり、それ以上でも以下でもありません
- この記事を持って自分の考えを正当化し人に強制するつもりはありません
- 全ての事象は時と場合と度合いによるものであり、常に正しい選択は存在しないという前提を持った上で読んでください
AI に関する事象を取り扱う上での諸注意
- 筆者の本業はエンタメ業界に近いソフトウェア・エンジニアです
- 筆者は以下の分野において既に生成 AI を利用しています
- GitHub Copilot (コーディング・プログラミング用途)
- ChatGPT (Web 検索の代用用途)
- 筆者はクリエイティブの分野における生成 AI の利用について中立的、白黒つけるのであれば否定側の立場です
- ただし、これは論理的な理由からではなく
好きなクリエイターが生成 AI の影響で創作をやめてしまったから
という主観的理由によるものです
- ただし、これは論理的な理由からではなく
生成 AI によるイラスト生成にまつわる問題
昨今、生成 AI を利用したクリエイティブ分野の権利問題が日々取沙汰されています。
その中でも特に連日話題になっている問題として、生成 AI を利用したアニメ・マンガ系イラストの生成の是非があります。あまり詳しく説明するとそれだけで本が書けてしまうレベルになるので大まかな部分については各自調べて下さいとお茶を濁しますが、最近このような記事がトレンドに上がりました。
私が理解するところ、この記事で指摘されている内容は以下の通りです。
- 絵師として生成 AI イラストに反対している人たちの主張がおかしい
- 主張がおかしすぎるが故に反対派は既に負けている
- おかしな主張になってしまった原因に絵師の特権意識があるのではないか
あまり公に話題にするような話でもない (個人的に AI イラスト問題は政治の話並にタブーな話題だと考えている) ので今までこういった話題を読みつつも特に反応してきませんでしたが、ふと少し前にブログで取り上げた 邪神ちゃんセリフ逆引き辞典 問題と少し似通った部分があるように感じ、これを期にしっかりと考えてみることにしました。
邪神ちゃんセリフ逆引き事件 問題については、以下の過去記事を参照ください。
「邪神ちゃんセリフ逆引き辞書(仮)」反対派の人たちに思うこと
生成 AI はそもそも著作権侵害なのではないか
これについては日本国内では現状セーフよりのグレーであろうと思います。まず何より判例がないので判断のしようがありません。先程の記事でも指摘されているように、著作権侵害をもって生成 AI の規制を進めるのはいささか無理筋なのではないかと私も考えています。
とはいえ、法的に問題がないから倫理的に問題がないとは言えません。法律は絶対ですが、法律は人間の感情を元に作られています。現状が倫理的にアウトだと思う人が増えれば、法律は変わります。
生成 AI イラストはそもそもイラストと呼べるのか?
個人的には呼べないと思っていますが、呼べないからなんだ、という話だとも思います。結果として出てきたものが良い物だと思えるのであれば、大半のものについて作られるまでの過程は考慮されないからです。とはいえここに明確な権利侵害があれば話は変わってくるでしょう。
この指摘を目にした時、個人的にはやはり “イラストを描く” という行為への一種の信仰のようなものがあるのではないかと感じました。人力でイラストを描く行為は尊いものであり、それを省略している生成 AI は評価に値しない、という意識があるように思います。
だからといって生成 AI 否定派が間違っているというつもりはありません。ただし、この認識の違いが先程の記事で指摘した “特権意識” なのではないかと感じます。
資本主義社会とオタクコミュニティのヒエラルキー
この問題を考える前に、まず二次創作界隈やオタクコミュニティのヒエラルキーについて理解する必要があると感じました。
大層な言葉を使っていますが、要は原作となる作品があり、その作品を “推す” 人たちで構成されるコミュニティのことです。この記事では便宜上これ以降 オタクコミュニティ
と称します。
オタクコミュニティにおけるヒエラルキーは単純明快です。 作品へ直接的な支援や帰属意識の向上をもたらしたものが優位に立ちます。 なぜならオタクコミュニティにおいて原作は絶対的存在であり、財政状況が改善され作品がより広い展開を進めることや、二次創作によって今までリーチしていなかった層に作品を知らしめることは世界を前進させるための良い行いだからです。
これは資本主義国家における経済成長ととても似ています。国が豊かになればさらなる発展、幸福がもたらされます。そのために国民は労働という名の生産活動を行い続けます。これは日本国憲法が労働を義務と位置づけていることからも明らかです。
社会においてお金持ちが偉いのであれば、オタクコミュニティにおいて何かを作り出せる存在、つまり有産者が偉いということになります。この構造に違和感を持つ人は少ないでしょう。そしてそれはポジティブな評価だけでなく、ネガティブな評価にも同様だと言えます。
現実の社会においては、労働をしないが故に財政的に困窮している人は蔑まれる傾向があります。誤用であることを知ってて書きますが、有名なことわざに 働かざる者食うべからず
というものがあります。本来の意味とは違いますが、多くの人がこの言葉を義務である労働を行っていない人に対して使っています。
では、オタクコミュニティにおいてはどうでしょうか?
もちろんオタクコミュニティにおいてもネガティブな評価は存在します。それが所謂 無産 という言葉です。これは二次創作でリーチを広げる 有産 に対して、ただ消費するだけのお荷物である、というネガティブな意味で使われます。
社会と無産
社会とオタクコミュニティーのヒエラルキー構造がある程度明らかになったところで、実際に近しい意味合いを対比していきます。
オタクコミュニティにおいて
有産
とは、作品に貢献
する者を指します。社会において
名誉
とは、集団に貢献
する者を指します。オタクコミュニティにおいて
無産
とは、新たに物を産まず消費しか行わない
者を指します。社会において
足手まとい
とは、義務を果たさず生産と消費のバランスが崩れている
者を指します。
ある程度理解が進んできたと思います。
では、以下の文についてあなたはどう思いますか?
本来労働して対価を得るべきところを、人の労働から中抜きするだけで稼いでいる人が居る!許せない!
これって、以下と同じじゃないでしょうか?
本来苦労して絵学んで描けるようにならなければならないところを、人の絵から学習したデータで生成する人が居る!許せない!
多分、そういうことなのではないかと思います。こうして比較してみると、不満がなぜ起きたのか、そしてその不満に対して、ある程度理解を示せるようになるのではないかと思います。
こうして考えると、先程の記事が言っていた “特権意識” なんてものは本当にあるのでしょうか?普段過ごしている社会に何気なく存在している無意識の感覚と全く同じなのではないでしょうか?
正当な二次創作とそうではない二次創作、権利侵害
上記の考察を通して、 邪神ちゃんセリフ逆引き辞典 問題について自分の中で一つの理解ができるようになりました。
私は邪神ちゃんセリフ逆引き辞典を作品を応援する活動の一つだと考えていましたが、正当な方法で二次創作を行ってきた人からすればそれは作品に対する権利侵害行為であり、履き違えも甚だしい行為だったのではないかということです。
同人文化というものの歴史は長く、その中には言葉として示されずとも暗黙のうちに成り立ってきたルールのようなものが存在しています。
この文化はとにかく絶対的な存在であり、たとえアニメ公式が応援していますと言おうが覆されるものではなかったのかもしれません。私にはその認識が正直なかったと言えます。
有産になるか死か
私はオタクコミュニティにおける無産の存在です。この件を通して、なんとなく心のなかにあった無産故の後ろめたさに説明がつくようになったと感じています。
そして、やはり私は無産として人々の足手まといになるくらいであればコミュニティを去りたいと感じました。社会で生きることはある意味義務ですが、オタクコミュニティに族することは義務ではないのです。何も後ろめたさを感じながら無理に続ける必要はないのです。
もちろん有産になるべく何度か行動を起こそうとしてみましたが、いまいちうまくいっているようには感じられません。私にできることは言葉を発せず、作品自体や有産の人たちの支援を行うことくらいなのではないかと思います。
無産は黙って金だけ出してろ という言葉は、キツいようである意味一つの真理なのではないかと思います。