創作界隈における有産・無産の関係について考察する記事を投稿している中で新たに気付きがあったので記しておこうと思う。
今までの経緯については過去の記事を参照してほしい。
「ほならね理論」とは
ほならね理論 とは、 YouTuber である syamu_game 氏が氏の動画中で提唱した理論であり、端的に言うと 何かに文句をつけるくらいだったら自分で良いものを作れ
という理論だ。
syamu_game 氏のキャラクターもあってか馬鹿にされがちなこの理論だが、界隈によってはほぼ同義の考え方が浸透していることがある。特に競技性が高く、実力が可視化されやすい世界、例えば e-Sports の世界では比較的この考え方が浸透しており、人のプレイングに文句をつける行為、所謂 俺の方が上手い
のような発言はタブーとされがちだ。
創作界隈と「ほならね理論」
この「ほならね理論」だが、創作界隈においても同様のことが言われる場合がある。 人の作品を批判するならもっと良いものを自分で作ってからにしろ
という文脈で言われることが多い。ただし創作界隈におけるほならね理論は e-Sports 界隈におけるそれとは異なり、理論に肯定的な人も居れば否定的な人も居るように見受けられる。
創作界隈でほならね理論が否定される意見や理由としては以下のようなものがある。
- 創作が出来ない人を見下すような意味合いで使うべきではない
- 創作において売れること、有名になることが唯一の正解ではない
- 創作は見る人が居て初めて成り立つものであり、批評に耳を傾けるべき
一方で以下のような反論も見受けられる。
- 創作界隈において創作ができないことは悪であり、見下されて当然である
- 創作も経済活動の一つであり、成功は必ず数値として表れるものである
- 見る専 (≒無産) の意見は創る側の理論を理解できておらず、耳を傾ける価値はない
どちらの意見も筋が通っており、個人的には間違いではないと思う。
ただ、両者の意識の差はどこから来ているのだろうか?
違いは “物事への真剣さ”
私が思うに、両者の違いはおそらく その活動にどれほど真剣に向き合っているか なのではないかと思う。ほならね理論が格ゲーのようなプレイヤーのプレイングスキルが勝敗を決める世界では一般的なのもおそらく同様の理由ではないだろうか。
物事に本気な人は何事にもストイックになる傾向がある。ほならね理論はある意味究極にストイックな理論であり、そういった考え方と親和性が高い。もちろんこの理論も想像の域を出ないが、これが あくまで趣味として創作活動をやっている人 と 生きる手段、アイデンティティの確立のために創作活動をやっている人 の違いだと考えると、創作界隈において見解が別れることにも納得が行くのではないだろうか。
「赤い薬」を飲むか「青い薬」を飲むか
こうして考えると、ほならね理論を受け入れるかどうかは 赤い薬と青い薬 と似たような話なのかもしれない。
赤い薬と青い薬 とは、映画「マトリックス」に登場するアイテムであり、青の薬を飲めば 日常生活に戻ることができるがこの世に隠された真実を知ることはできない 、一方で赤い薬を飲めば 日常を失うがこの世に隠された真実を知ることができる というものだ。
思うに、ほならね理論は赤い薬のようなものではないだろうか。創作活動をあくまで趣味と位置づけ、それに何かを見出さないのであれば青い薬を飲んで楽しく生きる道を選ぶべきだろう。
しかし創作活動に何らかの意味を見出そうと思うのであれば、赤い薬を飲む、つまり「ほならね理論」を受け入れなければならないのではないだろうか。